丘の家旅行記

韓国紀行5(3):11月24日(by 旅人のくまさんさん)

丘の家
<1998年11月24日>

<亀浦図書館へ>
昨日の約束で、亀浦(クポ)図書館への訪問は、少し時間をずらして、10時半頃にした。通勤時間帯に車を走らせても、昨日の渋滞の二の舞になると判断したからである。
中条さんとも落ち合えたので、3名づつ4台のタクシーに分乗して9時半頃にホテルを出発した。渋滞を予想して、それぞれに抜け道を探して走った。李先生たちの車は、道を間違えたこともあって、30分以上遅れて図書館に到着した。
私の乗った車は最初に到着し、李先生たちの到着を待っていたところ、歓迎会の都合などですぐに図書館内を案内されることになった。館長、課長、担当者の方まで、日本語講座の全先生が、角々まで、隈無く案内してくれた。
案内していただいたところは、それだけにとどまらず、図書館内の教室で勉強中の学生さんたちにまで及んだ。「この方たちは日本でハングルを学ばれていて、今回、韓国を訪問されました」との紹介に、いささか参ってしまった。「私の場合は、ハングル語講座の皆さんにくっついてきたオブザーバーです」などと断りを言うわけにもいかないし。教室によっては、拍手で迎えてくれたところもあった。仕方ないので、覚悟を決めて、ハングル語を勉強中のような顔をして、頭を下げて回った。「アンニョンハセヨ」と「カームサハムニダ」位か、韓国語の言葉は出てこない。

<図書館での交流会>
日本語教室の生徒の方との交流会は、図書館に隣接した公民館跡のようなところで行われた。館長、前館長はじめ1回生から4回生までの30名程の方がテーブルにお菓子やミカンを並べて待ってくれていた。私たちの到着がバラバラだったので、そのたびに入り口で拍手の出迎えを受けた。
歓迎会の式場は、お菓子や飲み物だけでなく、日本語講座の方の勉強成果や、漢字、ハングル語の書道の展示などもあった。その意気込みに、一瞬たじろいだ。しかし、それ以上の興味があったので、遅れた組が到着するまでの時間を利用して、ゆっくりと鑑賞させていただいた。
この歓迎会と、その後の昼食会を取り仕切ってくれたのは、昨日文先生のお宅で顔を合わせた全(チョン)先伊先生である。お名前は、この歓迎会の後で頂いた、第4期日本語基礎班の卒業記念の名簿から判断した。全先生とは、名刺交換をしなかったが、弟の全徳雄さんから頂いた名刺からも間違いないと判断した。
全先生の弟さんは、6人程の兄弟の末っ子だそうである。お姉さんは「度胸がいい事が取り柄です」と紹介してくれた。頂いた名刺には「共栄商社・代表」とあり、結構大きな商売をされているようである。年の頃は、50代の半ばから後半と言ったところか。もし、買い物をするなら、色々と紹介しますと言ってくれたが、今回の旅行は、あまり日程の余裕がないので、それとなくお断りした。
大変だったのは、図書館内の挨拶回りだけではなかった。歓迎会の席も相当なものだった。
全先生の司会で、この日本語講座が始まったいきさつ、その時に大きな役割を果たしてくれた前館長も前段で挨拶をされた。ところが挨拶はそれだけに止まらず、全員が自己紹介をする事になった。ここで、村井君は「ハングル語講座研修団長」としての挨拶をする羽目になった。気楽に考えていた当方も些かとまどった。皆さんの挨拶の中身の濃さをお聞きしているうちに「今回はハングル語講座のメンバーにオブザーバーで参加しましたが、これを機会に、ちゃんと勉強したいと思います」等と、決意表明する始末となった。
ハングル語講座の中級クラスの人は、とっさにハングルで挨拶をし、日本語講座の皆さんも、その話しに聴き入ったり、発音を一緒に確認したりと、その熱心さに感心させられた。
こちらのメンバーの挨拶の中で、心打たれたのが、小栗さん母娘のご挨拶だった。李先生が
「お二人は親子です。今回の訪問旅行は、娘さんが申し込まれました」
と、予め紹介をされた。お母さんの順子さん(偶然、李先生の娘さんと同名)は、
「父の仕事の関係で、小さい頃にソウルに住んでいました。その時の記憶が懐かしく、また、韓国の友達の親切が忘れられません。私が今回の研修旅行の申し込みをためらっていたところ、娘が申し込んでくれました」
と日本語で話をされ、
「半分は韓国人友達がいたので、ハングルを学ぼうと思いました。しかし、当時は学ぼうと思っても、禁止令で学ぶことができず、今になってやっとその機会に恵まれました。息子は今、韓国に住んでいます。考古学者で、百済の研究をしています」
と続けられ、
「どなたか、韓国語への通訳をお願いします」
と締めくくられた。
通訳は全先生が幾人かの生徒を指名され、それぞれに部分訳や意訳をされた。日本語講座の大方の人は、小栗さんの話の大要が理解できていたらしく、通訳にもそれぞれ深くうなずいていた。
亡くなられた小栗順子さんのお父さんは教育者である。娘のあゆみさんからは、お祖父さんに当たる。苦労がたたって、戦後間もなく亡くなられたようである。今でも韓国で一番の名門小学校の校長を務められ、日本の敗戦の時は、全国校長会の会長を務められていたという。
敗戦の後も残務整理と引継で、暫く韓国にとどまられたという。日本の敗戦までの韓国は、不幸にも日本の統治下にあった。それにも関わらず、教育や躾は素晴らしかったようである。小栗さんが当時を懐かしく思われるのは、父が教育者として慕われていた記憶と重なっているためかとも思えた。全先生も女学校で日本人による教育を受けられたと言うが、「理想的な教育」と言う点で、小栗さんと共感されていたようである。押し付けの軍国教育だけであったなら、このような感慨は湧かないはずである。

<韓日友好協会の李先生と>
夕方、ホテルのロビーで韓日友好協会の李先生とお会いすることになっていた。それで、適宜流れ解散をして、それぞれに予定時刻の15時半に集合することにした。
我々3人組は、バスと地下鉄を乗り継いでホテルに向かうことにした。焼肉店からすぐ近くにバス乗り場はあった。しかし、毎度の事だがバス経路が分かり難かった。居合わせた文先生の奥さんが、近くの人に聞いてくれたりして、目的のバスを教えてくれた。本当に親切な人達ばかりである。
韓日友好協会の李先生とは、ホテルのロビーで落ち合った。3時間をかけて出かけていただいた。お年が70歳と自己紹介されたが、穏やかな風貌の、素晴らしい雰囲気を持った紳士である。どうやら、教職に就かれていた人のようである。
韓日友好協会の李先生とは、同行の三浦さんが相当昔からのお知り合いである。李先生と一緒に釜山タワーに登り、帰りは喫茶店でお話をして、お別れをした。これからまた、3時間をかけて戻られると聞いて、申し訳ない気持ちになった。釜山タワーは、釜山観光ホテルからすぐのところにある。2年ほど前にもこのホテルに泊まった事があり、夜はこのタワーの灯りが目印になり、都合が良かった。タワーの上まで登ったのは、今回が初めてである。
釜山タワーからは、南側には港が、眼下にはプサン市内、北側には山並みが見渡せる。かつて、朝鮮戦争の一時期には、この山の北側まで北朝鮮軍が攻め入り、南側には人が溢れたという、その山並である。

<チャガルチ市場で夕食>
夜は、みんなでチャガルチ市場で魚を食べることにした。その前に、中条さん、鈴木さん、鍋田さん、村井君、加藤君たちと、予め市場見学を兼ねて、お店の見当を付けておくことにした。先生と小栗さんの親子は、別のところへ出かけられたらしい。それで、約束の時間になったら、ホテルに迎えに行くことにした。
チャガルチ市場にあるメインの2階建ての市場は、あいにく閉店日だった。それでも、海寄りの小さな店は、いくつも開いていたので、そのどれかに入ることとした。落ち合う場所を、市場入口の道路向かいのロッテリアの前に決めた。
先生たちを迎えに行くのは鈴木君たちに任せた。それで、私は、加藤君と二人で屋台(ポジャマチャ)で1時間ほど飲んで待っていることにした。待ち合わせ場所から、すぐ近くのところである。
4、5店並んだ屋台を一通り覗いて、その一つに入った。まだ飲む時間には早く、客は私たち2人だけだった。隣の屋台は客が来ていなかったので、そのお店のおばさんも一緒になって飲んだ。この人は、日本語が少し通じた。カラス貝のスープや焼きウナギにビール3本と焼酎も3本、〆て6千円ほどだった。少し割高だが、日本人相手ではこんなところ。むき身の時はウナギだとは分からなかったが、生を焼いたのは、塩とごま油のタレに合って、なかなか美味かった。
約束の時間に全員落ち合うことができた。みんなで、一通り店を覗いた後、間口の狭い小さな店に入った。予め、値段交渉をした上である。魚はヒラメをメインに、活きタコや活きイカも注文した。私はいつも、「ホヤをサービスで」と言うのを忘れなかった。さすがにホヤの刺身を食べる人は少なかった。箸を付けた人でも、最初に少しだけつまんで、後は手が出なかった。大部分を一人で食べてしまった。しかし、店先で見たとおり、あまり大きなホヤではなく、味は今一だった。
ホヤのことを「モンゲ」と言うのは、今年の連休の時の旅行で、束草(ソクチョ)付近の市場で覚えた。カワハギのことを「チッチ」と言うのも、このとき覚えた。このチッチはアナゴの調理と同じである。骨を付けたまま刺身にしてくれるので、ちょっと手強い。量が多くなければ、コチジャンによく合い、なかなか美味い。
ヒラメを刺身に取った後の骨身で、メウンタンを作ってもらった。鍋物である。酒代を合わせて、一人当たり2千円程度。確かにお値打ちだった。安かったのは、お酒の量が少なかったこともある。お酒をあまり飲まれなかった、女性5名の方に少し申し訳ない気がした。


  釜山ホテルの近くの朝食の店で
 純豆腐湯気懐かしき韓の冬

  亀浦図書館の歓迎会にて
 友好の輪の広がりぬ蜜柑剥く

 手に取りし蜜柑に思う近き国

 学ぶ人輝く眼や寒の雨

 コート来て集まりくるや丘の家

 蜜柑置く心尽くしの宴の席

 参鳥湯骨捌きつつ昼の宴

  釜山タワーに登りて
 冬枯れの尾根に連なる鉄の塔

 ビルの群攻め登りたる山の冬

 冬日落つ航跡沖に続きたる

 冬凪や日本は近き東海沖

 冬凪や行きつ戻りつ漁船

 幾たびか塔を巡りて冬日落つ

  チャガルチ市場近くのポジャマチャにて 
 酔うほどに月冴えわたる屋台酒

 チャガルチ市場の店にて

 ホヤ刺を芥子で食らう夜寒哉

 オンドルの桟敷や冷やで韓の焼酎(さけ)

【旅行時期】1998/11/23~1998/11/26
【エリア】釜山
【テーマ】イベント・祭り
【投稿者】旅人のくまさん

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